JR参宮線に属する田丸駅から歩いてほどなく
田園風景が広がる一帯がある
30年以上も前の水無月の頃
父と手をつないで虫取り網とカゴを携えた僕は
辺り一面に光り輝く不思議な田んぼ道を歩いていた
午後8時ごろ
街灯など一切ない
聞こえる音は蛙の鳴き声と
数えるばかりの乗客を乗せた一両編成のディーゼルカーの摩擦音だけである
暗がりの中で
父とはぐれてはいけないと
つまずいてはいけないと
必死に目を凝らして見た石ころの形や雑草の色は
東京で目にしたそれらと幾分か違っていたようだ
はからずとも僕は故郷に帰ってきたのだった
故郷を離れてから20年が過ぎていた
どんなに博学な経営者も先見の明がある投資家も高名な占い師も
20年も先を見越して人生の往復航空券を予約できる人はそうはいないだろう
「あぁ まだ残っていてくれたんだ」
田園いっぱいに輝き誇るその光景は
僕が得たたくさんの幸せと引き換えに
失ってしまった何かを一瞬で取り戻してくれたかのようだった
初めて自分の目でホタルを観た神奈川県出身の妻は
結婚前によく二人で訪れた恵比寿ガーデンプレイスのイルミネーションより綺麗と言ってとても嬉しそうだ
さんざんはしゃいで
どこまでも光を追いかけていた娘は
後部座席でスヤスヤと眠っている
もう4歳になった
僕は東京に行くことが夢だった
必死に勉強して慶應義塾大学の商学部になんとか滑り込んだ
そこには生まれも育ちもとても敵わない優秀な奴らがゴロゴロいて
彼らと酒を酌み交わしながら夜な夜な遅くまで議論した三田での2年間は
僕にとって一生の宝である
僕はとても貧乏だったけれど彼らと一緒にいると無限の可能性を感じさせてくれた
財閥系の総合商社に就職した僕は、我ながら順調な人生を送っていた
携わる仕事の国際性、人の数、金額の大きさ
年々増加していくサラリー 比例して大きくなっていく住居
無数に存在する魅力的なレストランや飲み屋が仕事の疲れを癒してくれた
流行を肌で感じさせてくれるアパレルショップを発掘することが僕の精神をメンテナンスし、明日への活力を与えてくれた
東京でなんとかやっていくことが生きている実感を与えてくれた
妻との出会いや大切な思い出も東京
娘が最初に過ごした暮らしも東京
僕は東京に憧れ
なんとか東京に入り込んで
いつの間にか東京を構成する細胞の一部になれたような気がした
いいかげん東京に愛されているような気さえした
思えば人生の半分を東京で過ごしているのだ
何人も僕と東京を勝手に切り離すことはできないだろう
父から珍しく電話が入ったことが、僕が三重県に帰ってくるきっかけとなった
「どうだ。こっちに帰ってこないか。」
辞書に書いてあるような昭和の仕事人間で、自分にも家族にも常に厳しかった父であったが、その日の電話越しの声はとても弱々しかった
僕は近い将来に家族を連れて東京を去ることになると瞬時に悟った